春琴
『春琴』
世田谷パブリックシアター
2008年2月21日(木)~3月5日(水)
出演*深津絵里・宮本裕子・麻生花帆・立石涼子
チョウソンハ・瑞木健太郎・高田恵篤
ヨシ笈田・本條秀太郎
演出*サイモン・マクバニー
原作*谷崎潤一郎「春琴抄」「陰翳礼賛」より
2月27日観劇。
「春琴抄」の語りを録音するため、放送ブースに入るひとりの女優。
物語は彼女の語りベースで進んでいく。
素舞台で繰り広げられる『春琴抄』の世界。
なんでもない小道具が思いも付かない表現で使われたり
役者の存在を消しつつも役を全うする「表現者」の極みを観たり
日本の伝統美・様式美を再確認したり
それはそれはとにかく感嘆の連続な芝居なのだ。
細かい説明はネタバレになるので避けたい。
出来ればこの公演をご覧になる方はこれ以上この芝居の知識を入れないことをおすすめする。
まっさらな状態で是非この芝居を楽しんでいただきたい。
小説の内容を知らなくても、物語は充分に理解出来るようなわかりやすい語りと構成であるし、役者が魅せてくれる表現ひとつひとつも実に簡潔で理解し易いのだ。
どうか予備知識に頼らずに、目の前で行われる『春琴と佐助』の物語を感じて頂きたい。観ると言うよりも感じると言ったほうがしっくり来る舞台なのだ。
いつでもどんな舞台でも、板の上では役者はひとつの歯車だと思っている。
歯車の大小に関わらず、ひとつでも欠けてならない。
今回の舞台はとくにそれを感じた。
しかもこの『春琴』では、歯車が全て同じ大きさでこれ以上ない精巧さなのである。
その歯車が同時に動き、同時に止まる。
その一糸乱れぬ表現のうねりに心奪われる。
深津絵里さん。舞台では初めて拝見したが、噂に違わず素晴らしい役者である。「もうええ」「あつい」こんな短い台詞一声で私は戦慄した。「こんな声をナチュラルに出せるなんてすごい・・・」と。
一見、この芝居は深津絵里でなくても成立するのでは?と思うような作りであるが、やはりこの『春琴』は彼女でなければ成立しないのだと思う。春琴の晩年の心細さ怯え理知性崇高さを見事に持ち合わせているからだ。なにより視覚を失っている春琴の「声」は、深津絵里にしか表現出来ないだろう。その位、彼女の声は魅力的であった。
「深津絵里の声」に対し、「宮本裕子の身体」も何ものにも代え難い魅力がる。春琴を描写する「透き通るような白さと青さと細さ」にものの見事にあてはまる身体であり、少女期の春琴は彼女なしでは表現出来ないであろう。春琴が幼児期から少女へと移行する様がとても面白く、宮本の手、足、顔、身体が物語の細部をきちんと表現していて秀逸だった。
『春琴抄』の佐助は献身愛なのか。
耽美主義で被虐性の佐助が献身でやっていたわけではなかろう。
佐助!佐助!とさも春琴が佐助を操っていたかのようだが、その実操られていたのは春琴であったのではないか。
純粋な愛に恵まれなかった春琴がただただ哀れでならない。。。
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