2008年2月29日 (金)

春琴

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『春琴』

世田谷パブリックシアター

2008年2月21日(木)~3月5日(水)

出演*深津絵里・宮本裕子・麻生花帆・立石涼子

     チョウソンハ・瑞木健太郎・高田恵篤

     ヨシ笈田・本條秀太郎

演出*サイモン・マクバニー

原作*谷崎潤一郎「春琴抄」「陰翳礼賛」より

  

  

2月27日観劇。

  

「春琴抄」の語りを録音するため、放送ブースに入るひとりの女優。

物語は彼女の語りベースで進んでいく。

素舞台で繰り広げられる『春琴抄』の世界。

なんでもない小道具が思いも付かない表現で使われたり

役者の存在を消しつつも役を全うする「表現者」の極みを観たり

日本の伝統美・様式美を再確認したり

それはそれはとにかく感嘆の連続な芝居なのだ。

細かい説明はネタバレになるので避けたい。

出来ればこの公演をご覧になる方はこれ以上この芝居の知識を入れないことをおすすめする。

まっさらな状態で是非この芝居を楽しんでいただきたい。

小説の内容を知らなくても、物語は充分に理解出来るようなわかりやすい語りと構成であるし、役者が魅せてくれる表現ひとつひとつも実に簡潔で理解し易いのだ。

どうか予備知識に頼らずに、目の前で行われる『春琴と佐助』の物語を感じて頂きたい。観ると言うよりも感じると言ったほうがしっくり来る舞台なのだ。

  

  

いつでもどんな舞台でも、板の上では役者はひとつの歯車だと思っている。

歯車の大小に関わらず、ひとつでも欠けてならない。

今回の舞台はとくにそれを感じた。

しかもこの『春琴』では、歯車が全て同じ大きさでこれ以上ない精巧さなのである。

その歯車が同時に動き、同時に止まる。

その一糸乱れぬ表現のうねりに心奪われる。

  

  

深津絵里さん。舞台では初めて拝見したが、噂に違わず素晴らしい役者である。「もうええ」「あつい」こんな短い台詞一声で私は戦慄した。「こんな声をナチュラルに出せるなんてすごい・・・」と。

一見、この芝居は深津絵里でなくても成立するのでは?と思うような作りであるが、やはりこの『春琴』は彼女でなければ成立しないのだと思う。春琴の晩年の心細さ怯え理知性崇高さを見事に持ち合わせているからだ。なにより視覚を失っている春琴の「声」は、深津絵里にしか表現出来ないだろう。その位、彼女の声は魅力的であった。

「深津絵里の声」に対し、「宮本裕子の身体」も何ものにも代え難い魅力がる。春琴を描写する「透き通るような白さと青さと細さ」にものの見事にあてはまる身体であり、少女期の春琴は彼女なしでは表現出来ないであろう。春琴が幼児期から少女へと移行する様がとても面白く、宮本の手、足、顔、身体が物語の細部をきちんと表現していて秀逸だった。

  

  

『春琴抄』の佐助は献身愛なのか。

耽美主義で被虐性の佐助が献身でやっていたわけではなかろう。

佐助!佐助!とさも春琴が佐助を操っていたかのようだが、その実操られていたのは春琴であったのではないか。

純粋な愛に恵まれなかった春琴がただただ哀れでならない。。。

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2008年2月28日 (木)

食べて喋って観て喋って

今日は久しぶりに親友との観劇デート。

三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで公演される『春琴』を観るために

まずはキャロットタワー26階のレストラン スカイキャロットでランチ♪

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スズキの香草グリル焼き

トマトベースのソースがスパイシーで私好み。

サラダはセルフでお好きなものを。

パンナコッタのデザートとコーヒーが付いて1200円。

(あ、私は親友にご馳走してもらっちゃった♪)

 

なんといっても26階。

今日はお天気もよく眺望は見事。

でも窓側の席にはつけず、横目で遠くの東京タワーをチラ見し

あとは怒涛のおしゃべりタイム。

&おしゃべりの合間に打つ舌鼓。

その賑やかなこと賑やかなこと。ふたりなのに。

マチネまではたっぷりあると思っていた時間は、あっ

と言う間に過ぎ、おしゃべりが止まらないまま劇場へ。

と、その前にぃぃぃ。

レストランの反対側の眺望を納めておこう。

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うーーーむ。やっぱりレストラン側の景色の方が断然よいのね。

でも、これはこれで。

東京砂漠って感じ?

さて。

観劇は微妙に久しぶり。

なんせ最近は親友の出演するものしか観てないもので。

そして今回も然り。

いつもいつも上質でセンスが良くて品のある演目が多いのだけれど

今回は特に特に特に素晴らしかった!!

感想はまた別枠でふざけないテンションで書くことにします。

で、観劇後もうひとりの親友に会い、またおしゃべり。

集まればいつだって19歳に帰れるセルフタイムマシン的存在。

今度はいつ集まれるかな。

長旅の帰路につく私を、自転車で劇場に来た親友は

改札まで送ってくれていつまでも手を振ってくれたのでした~。

『手振りなお  心19の余韻曳き

撫でる春風  心地よい宵』

お後がよろしいようで。(よろしいのか?)

 

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2006年8月20日 (日)

薪能@氷川の杜

氷川の杜に足を踏み入れると

どしゃぶりの蝉時雨。

蝉の声が増せば増すほど静寂は深まる。

日が暮れきれぬ夏の夕刻は

神社の大鳥居に陽がまだ照りつける。

振り返ると空には入道雲。

真夏。

真夏に浴衣。

真夏に浴衣に38女。

風流だねぇ。

誰も言ってくれなかったので自分で言っとく。

粋だわねぇ。

でも涼しい顔して浴衣の下は汗が濁流の如し。

自分の汗で溺れるかと思った。

しかし、浴衣を着るのは楽しい。

汗の量とはうらはらに気持ちはシャキッと引き締まる。

というわけで、今回は中学時代のお友達3人で、

「浴衣で薪能」なのである。

氷川神社の宮司による神事のあとは

金春流 素謡 『翁』。

金春流 舞囃子 『松風』。

そして、和泉流 狂言 『昆布売』。

この演目のシテは野村萬斎。

萬斎演じる大名が、出かけの供がいないので、通りかかった「昆布売」を強引に供に仕立てて連れ立ちます。しかし、横柄な大名の態度に腹を立てた「昆布売」は、持たされていた刀を取り上げて立場の逆転を図ります。「昆布売」は大名に大きな声で昆布を売れと刀を振りかざし迫るのです。そして次々に謳うように売れ、踊りながら売れと要求を高めるのですが、この大名起用にそれをこなすのです。「昆布売」の目論見通り、道中大名が昆布売と化すのでした。

と、いう筋書きなのですが、狂言って面白い!!

現代でいうところのコントな感じ。

それもベタな。

「昆布売」の場合、大名が芸達者なら芸達者なほど面白いのね。

でも、「昆布売」役の破石 晋照さんという役者さん。

とっても良かった。

声の張り艶があるし、大名に対して商人という感じもよく出ていて

若そうなのに達者だなぁと。

上から目線で何者ですか?私。

休憩をはさみ、後半は

観世流 能 『巴』。

この筋書きは

木曽の旅僧が里の女に「ここは木曽義仲ゆかりの神社ですよ。同郷のよしみで回向してくださいな」と頼まれ読経していると、義仲の思い人であった巴御前の姿が・・・。もうこの世の人ではない巴であるが、現れた巴は義仲への想いを切々と語るのであった

という感じ。

もう、後半が始まる頃にはとっぷり日も暮れ

いよいよ「薪能」の趣。

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あんなに大騒ぎだった蝉たちも

今日は店仕舞いとばかりに夜の帳をおろし

静寂の主は風音へとバトンタッチ。

一陣の風とともに静寂を破る凛とした鼓。

客人の心を舞台へと誘う妖しげな笛。

薪にぼうっと揺らめく舞台。

現代感覚を麻痺させ

今ではないどこかへ私を連れ出すこの空間。

それが薪能の醍醐味。

巴御前の「果てしない静」の中の「一瞬の動」に魅せられ

思いがけず前のめりに。

いやぁ、巴はいつ動くのかなー動かないなー

ってじーっと観てたらさ

かっっっって一瞬、ちょっとだけ動いたのさ。

それがとっても印象的だったんだよね。

様式美だよね。

でね、よく「能面みたいな顔」って無表情の人のことを言うでしょ。

それって違うよなぁって思った。

能面をよく観てるととても表情が豊かに変化するんだよね。

ちょっとうつむくと物憂げに見えるし

もっとうつむくと悲しげに見えるし

まるでまぶたがあるかのように目が変わって見える。

正面を見据えると強い意志を感じるし

顔を振ると拒否に見える。

うっすら開いた口は

まるでしゃべっているようにも見えるし

そこから息遣いを感じたりもする。

それはもちろん、演者の力量でいかようにも能面が変化するのだろうけど

けっして能面は無表情ではない。のだね。

で、この素晴らしい巴を演じた観世 善正さん。

プロフィール見てびっくり!

2つ年下じゃないですかぁぁぁぁ!!!

伝統芸能の世界も、もう年下が活躍するお年頃なわけですね。

浴衣で浮かれてるばやいじゃないわけですよ。

でも、中学時代の友と会うとちょっとしたタイムスリップ。

机の引き出しいらず。

ドラえもんがいなくったって、あの頃に戻れるんだい!

というわけで、薪能のあとは尽きないおしゃべり。

浴衣姿の私たちは

ギターとアコーディオンと三味線があったら

間違いなく「かしまし娘」だったわね。

まだまだ「はんなり・しっとり」に及ばず。

でも、また来年も行こうね♪

氷川の杜の宮司様。

来年は萬斎じゃなくても行きますから!!!

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2006年7月13日 (木)

よーじや@新橋演舞場

今日は母様と観劇デー。

母様のリクエストで新橋演舞場で上演の「京紅ものがたり」を観に。

主演は十朱幸代、共演は渡辺徹・桂文珍・高橋恵子他。。。

最近の商業ベースの演劇はとてもレベルが高い。

私は若い頃、商業演劇が大嫌いだった。

お客に媚びる芝居、くだらないギャグ、笑い待ちの変な間、説明的すぎる演技などなど。

もちろんその頃はテンション芝居が好きで、はなから商業演劇を敬遠してた節もある。

で、今は年齢も重ね役者の細かい技も冷静に観れるようになった。

そこで、今回感じたのは、『芸歴は宝だね』ってこと。

もう、いぶし銀だよ十朱幸代。

ああいう芝居をする役者だとは、テレビだけでは想像がつかないもの。

山形弁と京言葉の両方を完璧に使い、小娘役から懐深いおかみさん役まで違和感なく演じとおし、時にいなかっぺ、時に啖呵切り、時に泣き崩れ、時にコケティッシュに、素晴らしいコメディエンヌなのである。

私は母様に誘われるままこの手の芝居を観ているが、どの芝居もけっしてお金もうけ主義ではなく、お芝居が大好きな役者さんたちの熱き思いを感じる。しかも、50歳以上の役者さんの情熱だ。テレビでは脇役や冴えない役だったりする役者さんも、舞台ではとても素晴らしい芝居を魅せてくれる。いくつになっても情熱も抱ける人は美しい。そしてその情熱を目の当たりにすると、沸々と私にも元気が湧いてくる。

これだから観劇はやめられない。

ありがたいことに、母様(相方の母)は観劇が大好きで、必ず私を誘ってくれる。さらにありがたいことに、母様の趣味がとてもいい。

芝居も当たりハズレがあって、なんだかな~なパターンも少なくない。

なのに母様がご所望になる芝居はどれも大当たりなのだ。

今度は若尾文子を観に行こうと約束している。

なかなかのセンスなのだ。

で、今日の劇場である新橋演舞場。

演目『京紅ものがたり』にちなんで、京都の「よーじや」とコラボレーション。

2階ロビーには特設販売所。

レギュラー商品の販売もさることながら、この芝居にちなんだ「京紅」を限定発売。

やるね~。

で、嬉しくて嬉しくて購入。

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京都でしか手に入らないよーじやの新商品。

ゆずフレーバーのリップクリーム。

とてもリアルなゆずの香りが爽やかで優しい逸品。

そして紅色の手鏡。うふ、かわいい。

丸い団扇はお客全員に配られるという粋な計らい。

ものすごく暑かったから、とてもありがたかったわ。

そんなわけで、思いがけずよーじやもゲットし

とてもHAPPYな一日でした。

そうそう、銀座のチャンスセンター長蛇の列でしたわ。

あの中に億万長者が??!

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2005年11月 1日 (火)

気づけば11月・・・

すっかりご無沙汰してしまいました。

10月の後半は、バタバタとしていてなかなかここに辿りつけませんで。

ブログを続けるということは、日々平穏無事な証拠なんだわぁ。

ちょっと心が乱れると、何かを「書こう」という気分になれないものなのね。

「読もう」という気分も然り。

せっかくの読書の秋なのに、ちっとも本読みも進んでおりません。

ま、ぼちぼち。

先日はバタバタの中、芝居に行ってきました。

母様との観劇デート。

森光子主演・「ツキコの月」。

もう森光子の芝居は語るもがなです。

新作なのにスゴイよね84歳。

記憶力は訓練でキープ出来るってことを実証しているよね。

そりゃ、多少のプロンプはついてるだろうけど。

でも、今回私が印象に残ったのは「帝劇」の開演前のアナウンス。

・・・「お客様にお願い申し上げます。

上演中は後ろのお客様のご迷惑になりますので、

前屈みにならぬようにお気をつけくださいませ」・・・

はあ?

前屈みになるな?

なんでわざわざそんなことを?

初めて聞いたよそんなお願い。

どういう姿勢で観ようとべつにいいじゃないさ。

そんなことより携帯電話鳴らすなって方が大事なんじゃないのん。

と、そんなことを思いいざ開演。

幕が開いたその時っ!!

ざざっっっ。

私の周辺のお客様ほとんどが、

前屈みにっっ!!

前の座席の背もたれを掴まん勢いでのめっているではないか!

自然と背筋が伸びるその体制は、

背もたれに寄りかかる私を壁の如く覆い、

舞台が全然観えましぇーーーん。

となりの母様も目を爛々と輝かせ、前のめり。

アナウンスがあったことも驚いたけど、

これほどまでにアナウンスに効き目がないことも驚いたな~。

そういえば、芸術座でも前のめり気味だった母様。

これは帝劇の問題ではなく、

森光子観劇世代の問題だわね。

問題というよりも、森光子の魅力ってことかな。

私も光子にあやかって

スクワットでもするかね。

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2005年9月22日 (木)

『好色一代女』

『好色一代女』

原作・井原西鶴

脚本・斎藤雅文

演出・山田和也

出演・佐久間良子・市川亀治郎・山崎銀之丞

    宮本裕子・谷啓・近藤正臣・他

劇場・ル テアトル 銀座

《粗筋》都の片ほとり竹林の奥の庵に、妙に美しいなぞのような尼花子(佐久間良子)が住む。猫のように不思議な美少女弥勒(宮本裕子)にかしづかれ、彼女は訪れる人に自分の数奇な人生の、とりわけ男出入りのあれこれを面白く物語るという。

折りしも訪れた若い男2人。忍(市川亀治郎)と十郎(山崎銀之丞)は、自分の出生の秘密や親の死に花子がかつて関わっていたと疑念を抱き、これを確かめようと訪れたが、花子が語り始めたその人生の可笑しくも奇妙な噺の数々に次第に引き入れられてしまう。

今も花子に仕えている下僕のような男善九郎(近藤正臣)は花子の今までの人生の折節に必ず現れるからくり人形師である。花子が男に失敗したりするたびに善九郎は次の人生を用意する。花子は一体悪女だったのか、男に情のある、結局自分が損をしてきた女だったのか・・・。

若いの年寄りとりまぜて

男殺しの女ざかり

ジャズのリズムでアップテンポ

次から次へといそがしく

ほんとうなのか出まかせか

おかしなおかしな色ばなし

あら心は濁っていませんよ

《感想》とてもにぎやかな舞台だ。「井原西鶴・佐久間良子・ル テアトル銀座」このラインナップで誰がこの舞台を想像するだろう。山田和也氏、もしかして冒険好き?京都弁ではんなりと古典芝居のはじまりと思いきや、レビューのような歌と踊りが突如始まる。なに!これ!少々身構えて息を詰めて観ていた私は、このレビューシーンで「この芝居は気楽に楽しんでいいのね!」とまるっきり観かたを変えた。それからはまるで小劇場の乗り。やるじゃん、佐久間良子。決めるところは決め、ボケるところはボケる。なかなか柔軟な大女優だ。そして驚いたのは近藤正臣。立ち姿は若々しく、軽く、色気漂い、実に華があるのだ。佐久間良子も近藤正臣もめっきりテレビでは観なくなったが、これだけ舞台で映える役者なら当然のことだろう。テレビよりも舞台。王道だ。この2人を支える若手も個性が活きて印象に残る。市川亀治郎はさすが歌舞伎役者。所作の美しさに説得力がある。彼の動きが加わるだけで、時代背景がリアルに感じられる。多少台詞の聞き取れない部分もあるが、存在感がカバーしているので問題ない。山崎銀之丞は金八先生でもお馴染みだが、やはり舞台の人だ。声、活舌、動き、どれもキレがあり気持ちのいい芝居だ。もっと観たい、そう思わせる役者である。宮本裕子は「弥勒」を存分に楽しんでいるようで魅力的だった。歌も踊りも華やかにこなし、赤い襦袢で飛び回る様はまさに「弥勒」そのものだった。ラストの通路をハケて行くシーンは、竹林を飛び立つ小鳥のように可憐で、こちらまで花子同様見送る気持ちに胸がつまった。ふと、宮本裕子の「オフィーリア」など観てみたいと余韻の中で思った。

私は隅から隅まで存分に楽しんだのだが、どうも周りの観客はついていけてない印象を受けた。佐久間良子のお客様あたりだと思う。いつもと違う乗りの芝居に戸惑っていて、なかなか物語に入りこめない感じだった。芝居というものは、観客の反応でいかようにも変化する。もう少しこの芝居の観客が最初からこのテンポについて行けていたら、もっと盛り上がったのではないだろうか。客層を考えるともう少し助走の部分が必要だった気がする。

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2005年5月22日 (日)

観劇 「いとこ同志」

「いとこ同志」

作・演出  坂手洋二

出演    渡辺美佐子・串田和美・宮本裕子・佐藤アツヒロ

劇場    シアタートラム

舞台は夜汽車。登場人物は4人だけ。一見シンプルな気がするが、内容は実に複雑で追いかけるのが精一杯だった。

渡辺と串田はいとこ。だと思う。ん~でも最後「そういうことにしておこう」みたいな感もあったから定かでない。でも冒頭ではいとこの体。

佐藤と渡辺は親子。そして佐藤と宮本はいとこ。で、結婚の約束をしている。

佐藤と宮本が婚約の報告をする為に渡辺のもとへ向かう。渡辺は丘にトレイン別荘を建ててそこに来ていた。いとこの串田とともに。そして、そのトレイン別荘の中で「いとこ同志」の結婚や恋愛や信頼や絆はどうなんだということが繰り広げられる。

さらに。

渡辺はミステリー?冒険?作家で、「いとこ同志」というシリーズを持っている。売上もなかなかで、テレビのコメンテーターとして顔も知られている。この「いとこ同志」という小説のモデルが串田である。渡辺は「私は本当にあったことしか書かない」と言う。串田は記憶喪失であるが、未来予知能力を持つ。らしい。このへんのサイドストーリー(もしかしたらこっちがメインストーリーだったりして)が、今ひとつ理解できず、途中何度もノッキングを起こす私。

筋立てはどうあれ、この舞台を支える世界感はとても素敵だった。「郷愁と浪漫」が夜汽車の中で繰り広がる。夜汽車の静けさと劇場の静けさが同質になり、私も乗客のひとりになる。まさに、舞台の醍醐味。

役者の魅力もまたさらなり。ベテラン二人の存在感。もう二人はいるだけでいいくらい。こんなにセリフ喋らせたらもったいない。身体で表現出来ちゃう人たちなんだから。でもはじける渡辺美佐子さんはキュートだったな。圧巻だったのは、カーテンコールの串田和美さん。芝居全部が吹き飛ぶほどのかっこよさ。びっくりしたよ。

佐藤アツヒロさんは初めて拝見したけど、すっかり舞台役者。多少幅のなさを感じはしたが、それを上回る彼の魅力はさすが。今でもファンが多いのも納得。年上のいとこを一途に思う純粋な青年は彼そのものだった。

宮本裕子さん。佐藤さんと宮本さんは、若い頃の渡辺さん串田さんを演じるのと、現在の婚約中のいとこを演じるのと役回りがふたつあるのだが、この演じわけがさりげないのに見事だった。明らかに内面が変化している。役者は内面が変化すると、外見も変化するのだね。混乱しそうなところを、宮本さんの演技で理解に至った。それから、彼女はコメディエンヌなのだね。もっと彼女のコメディーが観てみたい。

今、あらためて思うのは、舞台というものは目の前ではあるものの、一瞬で過ぎていき、また戻ることが絶対にない。本ならば、理解できるまで、何度も戻って読み返すことが出来るし、気に入ったシーンなら繰り返し楽しむこともできる。それも自分のペースで。舞台の上の物語やセリフをきちんと観客に届かせ、理解させ、感動を生ませるということが役者の仕事ならば、それはとてつもなく難しい仕事だ。「役者」と名乗る人種の半分も、きちんと仕事が出来ているのか怪しいものだ。実際、そんな人たちの舞台は苦痛で目もあてられない。資格も免状もない「役者」という職業は、万人に出来て万人が成れる。でも、観客を満足させられる「役者」は一握りにすぎない。今回、その一握りの中の四人の芝居を観ることが出来て満足している・・・。

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